English-Rakugo
English-Rakugo
English-Rakugo What is Rakugo Books English-Rakugo
English-Rakugo Performer BBS English-Rakugo
English-Rakugo Performance Mail English-Rakugo
English-Rakugo Infomation Toppage English-Rakugo
English-Rakugo
English-Rakugo
English-Rakugo

ことばの宇宙
2005年 June-July

落語とRakugo 日本伝統の笑いを世界へ 第一回
 
大島希巳江先生は落語を英語で語る "Rakugo"で、日本の笑いを世界に伝えようとされています。落語家たちの海外ツアーもプロデュースされる大島先生。落語とRakugo、日本の笑いについて、たっぷり語っていただきます。それでは、おあとがよろしいようで。
@落語の成り立ち@
  およそ300年ほどの歴史があるといわれている落語の起源には、さまざまなものがあるといわれています。たとえば、お坊さんの説法がもとになった話もたくさんあるそうです。昔は読み書きのできる人が少なかったので、お坊さんはお寺や道端で、善と悪について、生と死について、人びとに語ってきかせていました。ところが、どうもみんなすぐに飽きてしまいます。そこでお坊さんは知恵を働かせて、教えをおもしろおかしいお話に仕立てて話しました。うそつきが後でしっぺ返しをくう話、夫婦げんかをちょっとした知恵で解決する話、どろぼうが痛い目に会う話・・・。これらは社会生活を営むうえでの、重要なことを教える話なのです。そうすると、人びとは大笑いしながら飽きることなく話をきくことができたそうです。このような話が落語に発展していったのです。
  その他にも、昔話や小噺をじょうずに話してきかせる人びとが昔からいました。流暢な語り口で語られる話は人気をよび、道端でストリートパフォーマーのように行われていたものが、やがて大きな家の一間を借りて座敷で行われるようになりました。これが寄席のはじまりです。このように、落語は昔からじわじわと一般庶民の生活のなかへ入り込み、長い間ずっと人びとにしたしまれてきたのです。それは、落語の噺には多くのメッセージや思い入れが含まれているからなのかもしれません。
@落語の魅力@
  さて、この長い歴史の中で形成されてきた落語のスタイルはとても独特なもので、世界のさまざまなコメディやエンターテイメントにもあまり例をみない特徴を備えています。落語家が着物を着て、高座の上の座布団にちょこんと正座をして噺をする・・・、もちろんこれだけでも十分独特なふんいきはもっています。しかし、それだけではありません。世界的に非常にめずらしい特徴のひとつは、噺がほとんどすべて会話で構成されているということです。噺に出てくる何人もの登場人物をひとりの落語家が演じ分け、それぞれのセリフのやりとりだけでひとつの噺ができているのです。これはじつはけっこうむずかしいことで、すばらしい芸と物語創作の技量だと思います。
  また、使う小道具限られています。落語家が使うのは扇子と手ぬぐいだけです。このふたつの小道具を使っていろいろなものを表現します。たとえば扇子は箸になったり、刀になったり、筆になったりします。手ぬぐいは財布、手紙、お皿、などを表現するのに使われます。つまり、観客が想像力を働かせながら見るのが落語なのです。この登場人物はどのような性格なのか、見た目はどのような人なのか、この人は今何をやっているのか・・・、常に頭のなかに噺の情景を思い浮かべながら楽しめます。これが落語のよさのひとつでもあります。観客は自分の好みに応じて自由に想像することができるからです。「わあ、なんて美人なんだ!」というセリフが出てきたとしたら、観客はそれぞれ自分好みの美人を想像することができるのです。すてきでしょう?

 

 

 

 

 


@落語を選んだわけ@
  こんな魅力いっぱいの落語を世界の人びとに紹介しようと思い、はじめたのが英語落語の海外公演ツアーです。きっかけとなったのは、1996年にシドニーで開催された国際ユーモア学会 (International Society for Humor Studies) で起こったある議論だったのです。それは、「日本人にはユーモアがない。日本人はジョークをいったり笑ったりするのだろうか?」というものです。私は数少ない日本人としてその場にいましたが、そのときはこの疑問にきちんと答えることができませんでした。つくづく、日本人として英語を話すことの意味を考えさせられました。国際的な場面で英語で話ができる日本人がいるとなれば、世界の人びとは日本について英語で話してほしいと思うものです。その日本や日本文化について、あまり知らないと相手もがっかりしてしまいます。 このときも、日本人の笑いについて答えられず、多くの人をがっかりさせてしまいました。
  そこで、次の年には必ず日本の笑いについて報告します、と約束して帰国したのです。それで落語を紹介することを思いつきました。漫才やコントでは、それが欧米のまねではないという証拠がないので、日本人にもともとユーモアがあるということが主張できません。落語なら、長い歴史があり日本独特の芸ですから、堂々と紹介することができます。
  最初は古典落語のなかから、初心者向けの前座噺を選んで英語に翻訳しました。翻訳といっても、直訳するとおもしろくなくなってしまいます。日本語のシャレは訳せないので英語のシャレをつくって入れたり、リズムをおもしろくするために英語のゴロ合わせをつくったり、さまざまな工夫を凝らして英語の落語をつくりあげました。そしてそれをひっさげて翌年の1997年に、国際ユーモア学会(この年はオクラホマで開催)へ乗り込んでいったのです。
  結果は、大成功でした。落語という芸の存在を紹介し、噺のおもしろさもきちんと伝わったようでした。さらに落語の噺には多くの日本文化が含まれており、日本文化を笑いにくるんで紹介するいはとてもよい材料となったのです。人は、異文化であっても、笑いながらきいているとすんなりと受け入れてしまうものです。たとえば、音を立ててずるずるとそばを食べる習慣も、通常欧米の人には受け入れがたいマナーですが、落語のなかで笑い話にくるんで紹介すると「日本の習慣っておもしろい。ぜひ日本へいって麺類を音を立てて食べてみたい!」という好意的な意見がたくさんきかれたのです。
@Rakugo家誕生への道のり@
  それから毎年英語落語の海外公演をするようになりました。とはいうものの、一番たいへんだったのは落語の翻訳に加えて落語家さんたちのトレーニングです。若手の落語家さんのなかで英語落語をやってみたい人や、とにかく外国へいってみたい人などを集めて英語を教えました。しかし、最初のころは落語家さんたちの英語力があまりにもないので、とてもたいへんだったのです。英語は読めないから、というので英語の上にカタカナで読み方をふった原稿とそれを私が英語でしゃべって録音したものをセットで渡していました。落語家さんたちは英語の意味もわからないまま丸暗記していたのです。どちらかというと、意味のわからないまま暗記できるということに感心してしまったほどです。
  そうしてどうにか完成した英語落語とトレーニングを終えた落語家さん3名を引き連れて、さらに翌年の1998年、はじめての英語落語海外公演ツアーに出かけました。それ以来毎年、アメリカ、シンガポール、オーストラリア、ノルウェイ、フィリピン、タイ、などなど数多くの国で公演を行い、多くの人びとを笑わせてきています。しかしこの海外公演ツアー、今まで一度も日本を出たことの無い落語家さんを連れて、落語をまったく知らない国ぐにで公演してまわるというのですから、なかなかたいした珍道中となるわけです・・・。

スタッフと一緒

→2005年ブルネイにて。公演の後、女学生に大人気の桂あさ吉ちゃん。

ことばの宇宙
2005年 Aug.-Sept.-Oct.

落語とRakugo 日本伝統の笑いを世界へ 第二回
  日本伝統の笑いの芸、「落語」。大島希巳江先生は、日本には日本独自のユーモアがあることを世界の人々に伝えたいという願いから、「落語」を英語に翻訳した "Rakugo" で世界行脚されています。今回は、海外公演で落語家が苦労されたことや、9月のインド、ブルネイ、マレーシア公演でのホットな話題などをお話いただきます。
@Rakugoの海外公演@
  英語落語の公演で 様ざまな国を訪問しますが、行く先ざきで本当にいろいろなことがあります。とにかく落語なんて見たことも聞いたこともないわけですから、現地のお手伝いの方はどうしていいのかわからなくて当然です。日本にいる間に、高座の作り方について説明をしっかりしたつもりでいても、実際に現地へいってみるとまるで違うものができあがっていた、なんていうことはしょっちゅうです。上にのったら崩れ落ちてしまうような高座、座布団の大きさと同じ面積しかない高座など、さまざまな舞台に出会いました。
  もちろん、観客も落語を見たことがないわけですから日本で落語会をするのとは反応も違います。たとえばこんなことがありました。まだ落語家さんたちが英語落語を必死で丸暗記して、ひたすら覚えた落語を高座でしゃべっているだけの頃のことです。落語の噺は、「こんにちは」「おう、お前ひさしぶりだな、あがっていけよ」のようにご近所さんの会話ではじまるものがよくあります。これは当然、噺のなかで登場人物が会話をしているようすなのですが、落語を見たことのないお客さんはそれを理解していないことがたまにあります。落語家が「Hello!(こんにちは)」というと、会場にいた500人以上のお客さんが元気いっぱいに「Hello!」と答えてくれたのです。困った落語家、それでもアドリブをきかせるほど英語力もありません。仕方なしにそのまま噺を続行します。「Hey, thanks for coming!(おう、来てもらってありがとな)」と続けると、お客さんも「Thank you for coming!」 と答えます。これでは噺ができない、ということでついに落語家は「Please don't repeat me!
(お願いだから繰り返さないでください!)」と叫んで、これには観客も大笑い。今では、このときのエピソードが英語落語のまくら話として語られています。
  この落語家さんも今では英語落語を流暢に語るばかりか、日常的な英会話さえもこなすようになってきています。とはいっても、完璧に覚えている英語落語に出てくるセリフを応用しているのですが。しかし、覚えたセリフを状況に応じて使えるということは、その英語がその人のものとなっている証拠です。落語家の英語力の向上は、思わぬ副産物でした。落語家たちは現在でも持ちネタをどんどん増やし、どの国へ行っても対応できるようになってきています。


 
 

猿の小噺 →2005年ブルネイ公演、観客席の様子。多くは地元の中学生、高校生。女の子は、手を口にあてて笑う。一昔前の日本人女性みたいで、かわいらしい。
  @Rakugoはカリフォルニアロール@
  このように異文化に直面するとさまざまなことが起こります。でも、それが異文化と出会うことの楽しさとか良さだと思います。他の文化に触れることで、よりよいものが生まれることもたくさんあるのですから。
  落語が大好きという人ほど、英語落語は邪道だという考えがあるようです。やはり好きな人はそれだけ思い入れがありますから「日本の落語のよさが英語にして外国人にわかるわけがない」と思うのはむりもありません。確かに、落語とRakugoは別のものだと思います。英語になった段階で、すでに日本の落語とは少し違うものになっているでしょう。
  私は、Rakugoはカリフォルニアロールだと思っているのです。今では日本のお寿司は世界中で好まれ、生のまぐろのにぎりも食べられているほどです。しかし、お寿司がsushiとして日本から出ていったばかりのころは、生の魚を食べるなんてとんでもないという考え方が強かったのです。そこでアメリカで寿司職人をしていた人びとが工夫して創作したのがカリフォルニアロールでした。寿司のよさを伝えたい、おいしいお寿司をアメリカの人たちに食べてもらいたい、という思いがあったのだろうと思います。カリフォルニアロールは、なかにアボガドやカニに似たかまぼこなどが巻かれており、生ものは入っていません。寿司好きの日本人から見たら、あんなもの寿司じゃない!といわれそうなものです。でも、このカリフォルニアロールが世界中で食べられたからこそ、今の寿司人気があるのです。Rakugoも同じで、日本文化に興味を持ってもらうためのきっかけとしてRakugoが世界のあちこちで受け入れられれば、と思っています。
@異文化コミュニケーションとして@
  今年も9月にインド、ブルネイ、マレーシアの3カ国を2週間かけてまわる公演ツアーを行ってきました。文化の異なる国ぐにでの公演はたいへんでもあり、興味深くもあります。
  たとえば、ブルネイという国はイスラム教の国です。落語を演じる際にも多くのことに気を配らなければなりません。まず、イスラム教は禁酒ですから、お酒が出てくる噺はできません。犬が出てくる噺(イスラム教では犬は不浄(けがれている)の動物とされています)、人が死ぬ噺、宗教に関わる噺などはすべて上演できませんでした。
  ここまで禁止事項が多いと、もうできる噺がなくなってしまうのではないかと思ったほどです。しかし、そこが落語のすばらしいところ。「つぼ算」や「時うどん」などイスラム教の人びとにとっても無害な噺もあるのです。ブルネイでは、外国のエンターテイメントは必ず事前に審査され、ほとんどの作品は許可がもらえないので見る機会がないのだそうです。そんななか、日本の落語というライブパフォーマンスを見られたことを、お客さんはとても喜んでくれて、本当によく笑ってくれました。
  日本文化を紹介するのが目的なのだから、そんなに遠慮することはないという意見もあるかもしれません。たしかに、お互いの違いを理解しあい、尊重しあうことはとても重要なことです。しかしそれ以上にたいせつなことは、異文化のなかにも必ずある、共通点に気づくということです。イスラム教圏でも上演できる日本の落語があるように、文化が違っても共有できるぶぶんはあります。どんなに文化や人種が異なっていても何かに共感し、いっしょに笑えるということはすばらしく気持ちのよいことです。
  自分を笑わせてくれる人に対して、敵対心を持つ人はいません。いっしょに笑うということは、人間関係をよくしてくれるのです。つまり、笑いのある環境は世界の平和につながることだと思います。ですから、これからも英語落語で日本の笑いを世界にふりまいて、世界平和をめざそうと考えています。
English-Rakugo
Copyright 2002 Kimie Oshima